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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)12239号 判決

原告

福田満

右訴訟代理人弁護士

熊谷俊紀

布施謙吉

被告

飛島建設株式会社

右代表者代表取締役

飛島斉

右訴訟代理人弁護士

上村勉

主文

一  被告は原告に対し、金一五〇万円及びこれに対する昭和五六年一〇月二三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一三分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決の主文第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一〇月二三日から支払いずみまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  被告は土木建築の請負を業とする株式会社である。

(二)  原、被告は昭和五三年三月二七日、あるいは同年五月二二日、大要左記のとおり分譲マンションの建物建築工事請負契約(以下「本件請負契約」という。)を締結した。

(1) 注 文 主 原告

(2) 請 負 人 被告

(3) 工事の目的 専用駐車場付鉄筋コンクリート造地上四階、塔屋一階の建物(仮称フクダマンション、五LDK四戸、その他三戸)

(4) 工   期 昭和五三年三月中着工、同年九月完成

(5) 請負代金 金一億〇八〇〇万円

(6) 代金の支払 建物完成六か月後を支払期日とする約束手形により支払う。

(三)  被告は右約定どおり着工しないので、原告は被告に対し、昭和五三年八月一七日到着の書面により、書面到着後七日以内に着工することを催告し、あわせて、右期間内に着工がない場合は本件請負契約を解除する旨の意思表示をした。

(四)  右期間が経過したため、本件請負契約は解除され、その結果、原告は次のとおり損害を受けた。

(1) 本件請負契約は、「丸投げ」(一括外注)と称する立替工事契約(元請業者は施主との間に請負契約を締結するが、実際の施行はすべて下請業者に任せ、工事には直接関与しない。元請業者は、その信用力に基づいて施主に対し一種の与信を与えるものであり、名義貸し若しくはこれに準ずる役務の提供又は与信の対価として、元請代金と下請代金の差額をいわばマージンの形で受け取る形式の請負契約)としてなされたため、その解除により、原告としては他業者によりマンションの建築を行わざるを得なくなつたが、建築規制の改変等のため着工を遅らすことができなかつたことや、被告ほどの信用力のある業者を得られなかつたことなどから本件請負契約に比し不利な条件で右建築を余儀なくされ、その結果、本件請負契約が履行された場合に得られた左記利益を喪失した。

イ 本件請負契約においては、自己居住部分のほかに原告は時価一八六〇万円の、仮称フクダマンションの一〇三号室に予定されていた一室を取得し得ることとなつていたが、それを失つたので、同額の損害を受けた。

ロ 本件請負契約においては、駐車場の設置が予定され、その駐車場料金(一か月金六万円)は原告に帰属することとなつていたが、それを失つた。少なくとも完成後六〇年間は右賃料収入をあげ得たものと考えられるからホフマン方式により中間利息を控除して右期間中の逸失利益を計算すると金一九六五万五六〇〇円となる。

ハ 原告はマンション完成後マンションの一室に入居する予定で、マンション建築予定地上に建築されていた自己居住家屋を取り壊し、完成までの間、賃料一か月金八万五〇〇〇円を支払つて借家住まいを続けていたが、新たな計画によるマンションの完成が当初計画、すなわち昭和五三年九月より一年遅れたため、一年分余計に賃料の支払いを余儀なくされ、右同額の損害(八万五〇〇〇円×一二=一〇二万円)を受けた。

(2) 本件請負契約の不履行により原告は多大の精神的苦痛を受けた。その苦痛を慰謝するに足りる慰謝料は金五〇〇万円が相当である。

2  仮に、本件請負契約の成立が認められず、被告に債務不履行責任がないとしても、次のとおり被告には不法行為責任がある。

(一) 原告は、自己の債務整理のため、原告所有の新潟県新潟市関屋田町二丁目三二七番、同三三二番先にある総面積三七九・八二平方メートルの土地(以下「建築予定地」という。)に、前記丸投げ方式により賃貸駐車場及び分譲マンション(仮称フクダマンション)の建築を計画し、訴外新東港産業株式会社(以下「新東港」という。)との間に、訴外アズマ設計の作成した設計図に基づいて右計画を進めていたが、折り合いがつかず、新東港との話は中止された。

(二) そこで、原告は、一級建築士である訴外吉田六左ヱ門(以下「吉田建築士」という。)らの意見を聞き、昭和五二年一〇月、当時被告横浜支店営業部長であつた訴外内藤照美(以下「内藤営業部長」という。)に右建築計画について相談した。

(三) その後、原告は内藤営業部長に対し、前記アズマ設計の作成した設計図、建築予定地の登記簿謄本等を交付し、又、従来の経過等を説明し、吉田建築士も交えて二か月以上にわたり、内藤営業部長とマンションの建築計画について協議した結果、昭和五三年一月早々には、右設計図を基本にして、被告が元請、吉田建築士の設計管理、地元業者による一括下請ということでマンションの建築を進める旨了解に達した。

(四) そして、原告は、昭和五三年一月一二日、電話で内藤営業部長に対し具体的計画を進めるよう依頼し、同年二月一〇日ごろ、被告横浜支店に対し特命発注書を提出した。これと前後して被告横浜支店は、吉田建築士に対し前記アズマ設計の作成した設計図の修正設計と工事代金の見積を依頼した。

(五) 吉田建築士は、昭和五三年二月一七日、見積書(見積額金一億〇五〇〇万円)を被告横浜支店に提出し、同日、原告、吉田建築士、内藤営業部長、同支店営業部員訴外原田、同永田等において協議の結果、吉田建築士は右見積額を二〇〇万円減額して一億〇三〇〇万円にすることとし、これに被告の取り分として五〇〇万円を上乗せした一億〇八〇〇万円をもつて原告と被告間の請負代金とするなど概ね請求原因1(二)記載の内容で、原、被告間で請負契約を締結することが合意された。

(六) 昭和五三年三月に入つて、吉田建築士より修正設計図が被告横浜支店に提出され、同月二〇日ごろには、内藤営業部長より建築予定地上に存する建物(以下「旧建物」という。)の取壊し、分譲促進のためのパンフレット作成についての指示がなされた。

これを受けて原告は、吉田建築士、下請業者として予定していた訴外株式会社建久組(以下「建久組」という。)に対し旧建物の取壊し、分譲の宣伝を依頼し、細部についての打ち合わせを行つた。

(七) そして、昭和五三年三月二七日、被告横浜支店において、原告、吉田建築士、内藤営業部長、同支店の総務部長訴外石原淳(以下「石原総務部長」という。)、同支店の工務課長訴外三浦信(以下「三浦工務課長」という。)が一同に会し、請求原因1(二)記載の内容で、原、被告間で請負契約を締結すること、下請業者としては建久組を使うこと、契約書の作成は同年四月四日に行うこと、起工式は同月七日とすることなどを確認した。

(八) 契約書の作成は、石原総務部長の都合や列車の事故により原告が上京できなかつたこと等により延期されたが、起工式は予定どおり昭和五三年四月七日行われ、内藤営業部長はこれに元請業者として出席した。

(九) このように、原告は契約書類の整備と被告よりの具体的着工指示を待っていたところ、昭和五三年四月一二日、内藤営業部長より原告に対し、担保物件を提供しないと、被告は契約書に印は押せない旨伝えてきた。

(一〇) 原告としては突然の話に激怒したものの、既に建久組は基礎杭打機械の持ち込みを手配ずみであり、プレハブ二階建の作業所の建設にもとりかかつていたことでもあつたため、妻の祖母である訴外大島婦美(以下「婦美」という)の承諾を得て、同女所有の神奈川県藤沢市鵠沼所在の山林二筆(以下「婦美所有地」という。)を担保に供することとし、昭和五三年五月二二日、被告横浜支店にその旨の担保差入証を提出し、かつ、同年六月一日、内藤営業部長の指示により、契約の実行を促す旨の嘆願書を同支店に提出した。

(一一) しかるに、事態は進展せず、被告は契約の締結を拒むため、請求原因1(四)(1)のとおりマンション建築を遅らすことができない事情にあつた原告としては、やむなく請求原因1(三)のとおり書面を発し、被告との交渉を打ち切り、他業者によりマンション建築を遂行したが、請求原因1(四)(1)のとおり不利な条件で右建築を余儀なくされた。

(一二) 以上(一)ないし(二)のとおり、被告の被用者である内藤営業部長、石原総務部長、三浦工務課長らは、同人らの業務として原告と交渉し、被告が原告との間に請負契約を締結するかどうか確実でもないのに、これが確実であるかのような態度に終始し、それを信じた原告をして、当初計画によるマンションの建築を不能ならしめ、前記のとおりより不利な条件でマンションを建築することを余儀なくさせ、請求原因1(四)記載のとおりの損害を与えた。これは、内藤営業部長らの不法行為に基づくものであり、被告は、民法七一五条により原告の右損害を賠償する責任がある。

しからずとするも、被告は、内藤営業部長らをして原告と交渉させ、契約書作成の段階にまで至らしめ、あたかも本件請負契約が成立し、その履行がなされるかのごとき外観を作出し、原告をして契約が確実に成立するものと信頼させているのであつて、このような場合、被告としては契約を成立させる義務があるというべきであり、これを成立させなかつた被告は民法七〇九条に基づき原告の右損害を賠償する責任がある。

3  よつて、原告は被告に対し債務不履行あるいは不法行為に基づく損害賠償として前記損害の内金二〇〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日から支払いずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1(一)は認める。

(二)  同(二)は否認する。

原、被告間で、原告のマンション建築に関し話がなされたことはあるが、原告の持参した図面も不備で見積もできず、修正設計を行つたものの、今度は、双方の見積額が一致せず(原告 一億〇三〇〇万円、被告 一億四〇〇〇万円)、結局、代金も、目的建物についても十分な合意がなく、また、代金の支払については、原告の希望が建物完成後六か月先を支払期日とする原告振出の約束手形で支払うということであつたため、被告の代金債権を確保するため適当な担保の提供を求めたところ、これがなく、そこで、被告の下請代金の支払について、右支払も原告振出の約束手形で行う、あるいは、原告が被告に対し元請代金の支払として振り出した約束手形が決済されるまで下請代金の支払を留保する、ないしは、元請代金の支払について金融機関の保証をつける、との案を被告において呈示したが、原告の入れるところとならず、契約の成立までには至らなかつたものである。もし、契約が成立していたとすれば、一部上場企業である被告としては当然契約書を原告との間に取り交わしているはずであるが作成されていない。原告が本件請負契約の内容として主張しているのは、右にも述べたとおり、原、被告の話合の過程で出た原告の単なる希望にすぎない。

(三)  同(三)は認める。

(四)  同(四)は否認する。

建築予定地上の建物については、二回建築確認がとられているが、確認申請における建築主は、訴外福田ハナあるいは訴外菱新産業株式会社となつており、原告ではない。したがつて、建築予定地上の建物の実際の施主は、右福田ハナあるいは菱新産業株式会社と認められるから、仮に原告主張のごとき損害が発生するとしても、それは右福田ハナあるいは菱新産業株式会社についてであつて、およそ原告に主張のごとき損害が発生するいわれはないというべきである。

2(一)  請求原因2(一)は不知

(二)  同(二)のうち、原告から内藤営業部長に対し相談のあつたことは認める、その余は不知。なお、右相談の内容は、建築確認書と他の業者の作成した見積書を持参して見せたにすぎない。

(三)  同(三)は否認する。

(四)  同(四)は否認する。

ただし、当初持参した建築確認書の図面が余りにも不備であつたので、見積のできる図面に修正してくれと吉田建築士に言つたこと(つまりは、右の趣旨で修正設計を依頼したこと)、及びその費用は被告で負担すると言つたことはある。

(五)  同(五)は否認する。

(六)  同(六)のうち「その後……なされた。」とある部分は否認し、その余は不知。

パンフレットは原告において被告の了解なく勝手に作つたものである。また、旧建物の取壊しについていえば、内藤営業部長が、既に建築確認ずみであつたため、確認ずみの物件に旧建物が建つているのは非常識であると指摘したことはある。

(七)  同(七)は否認する。

(八)  同(八)のうち、昭和五三年四月七日起工式が行われ、内藤営業部長が出席したことは認め、その余は否認する。

内藤営業部長が右起工式に出席したのは、原告から建築予定地を更地にするから見にきてくれるよう要請され、それに応じて見にいつたところ、急に、日取りが良いからとして起工式が行われたためであつて、偶然出席したに過ぎない。

(九)  同(九)のうち、「このように……待っていたところ、」とある部分は不知、内藤営業部長が物件の提供を求めたことは認め、その余は否認する。

前記二1(二)記載の経過で担保物件の提供を求めたものである。

(一〇)  同(一〇)のうち、嘆願書の提出のあつたことは認め、その余は不知。

(一一)  同(一一)のうち、原告主張の書面が被告に送達されたことは認める、その余は不知。

(一二)  同(一二)は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一被告が土木建築の請負を業とする株式会社であることは当事者間に争いがない。そこで、以下、本件請負契約の成否について判断する。

〈証拠〉を総合すれば次の事実が認められる。

1  原告は、自己の債務を整理するため、原告所有の建築予定地(昭和五三年一〇月二〇日合筆により新潟市関屋田町二丁目三二七番一筆となる。)を利用し、債権者でもある新東港との間で、原告が土地を提供し、新東港がマンションを建築し、完成後それを分けるという等価交換方式により、分譲マンションを建築することを計画した。そして、新東港は、訴外アズマ建築設計事務所に設計を依頼し、昭和五二年五月一三日、同設計事務所の設計した設計図を基礎に、鉄筋コンクリート造四階建の建物(五LDK四戸、その他三戸)について、建築確認(乙三二号証は建築確認通知書の写)を受けた。しかし、右計画は原告が自己の取り分について不満があり、折り合いがつかず、中止された。そこで、原告は、有利な方法でのマンション建築について吉田建築士に相談し、同建築士から等価交換方式より原告が施主となつて建築したほうが有利であり、そのためには資金力のある大手の業者に立替工事(一括外注あるいは丸投げともいう。立替工事を依頼された業者が元請となり、施主との間に請負契約を締結するが、工事には関与せず、通常、設計なども施主の方で行い、施主側で予定した建築業者が下請となつて工事を施工する。元請業者は施主に対し下請工事代金の支払いについて一種の与信を与えるもので、下請代金と元請代金の差額をいわばマージンの形で取得する。このような方法がとられるのは、施主が、当座の資金手当ができず、すぐには工事代金を支払えぬ状況にあるような場合などで、原告の場合はこれに該当する。)を依頼するのが得策であると勧められ、その方法でマンションを建築しようと考えるに至つた。

2  そこで、原告は妻の祖父がかつて副社長をしていた伝手を頼つて、被告に立替工事を依頼しようと企図し、右祖父の縁で妻の実家と親しく交際していた被告横浜支店の内藤営業部長に、昭和五二年一〇月ごろ、右アズマ建築設計事務所の設計図に基づくマンション建築計画(分譲予定四戸、一部原告居住用)について説明し、立替工事の可否について相談し、同部長の協力を取り付けた。同年一一月ごろ、原告は同部長に対し、前記建築確認書の写(乙三二号証)、アズマ建築設計事務所作成の設計図等のマンション建築に関する資料を交付し、マンション建築の技術面の担当者として吉田建築士を紹介した。同部長は、マンション建築予定地の所在する新潟は被告東京支店の管轄であるところから、原告を同支店の営業部長飯島義雄に引き合わせ、横浜支店でマンション建築の話しを進めることについて了解を得た。そして、同年中における原告、吉田建築士、内藤営業部長との話し合いの結果、建築予定地には新東港に対し抵当権が設定されているが、被告が受注しやすいように、債権者をしかるべき金融機関に変えた方がよいとの意向が同部長より示され、また、分譲を早期に行うには建物の質を高める必要があるとのことなどから、アズマ建築設計事務所の設計図に若干の手直しを加えることとし、その旨、被告(正確には被告横浜支店)は吉田建築士に対し設計変更を依頼した。

3  原告、吉田建築士は、訴外河井敏雄らにマンションの分譲、新東港に対する債務を金融機関に変更することについて協力を求め、翌昭和五三年一月ごろには、マンションについては二戸分譲の目途がつき、また、金融機関への債権者の変更については、吉田建築士、右河井らが新潟県信用組合より金員を借り受けて新東港に弁済し、その抵当権を抹消して同信用組合に抵当権を設定する方法でこれを行うこととなつた。

同年一月一〇日ごろ、原告、吉田建築士は被告横浜支店に内藤営業部長を訪ね、請負代金の支払いに代えて分譲予定の他の二戸につき、被告において買い取つて欲しい旨希望した。同部長は買い取りは無理であるが、代金の支払いについては、原告にとつて極めて好条件のマンション完成後六か月先を支払期日とする約束手形でよいとの意向を示し、パンフレット、新聞広告などを利用して早期にマンションを分譲し、代金を決済するようにと強く示唆した。また、新潟県においては同年五月から日照に関する条例等が変更されるので、同年三月中着工を目指すといつたことなどが話し合われ、吉田建築士に対して内藤営業部長より、マンションの建物について見積を行うこと、前記依頼に係る設計変更の図面を急ぐことなどが要請された。この話合の結果を踏まえて、原告は正式に被告に立替工事を依頼することとし、その旨内藤営業部長に連絡し、具体的に話を進めることになった。

4  原告らは、前記債権者変更の手続きを進め、昭和五三年二月六日、新東港に対し債務を弁済してその抵当権を抹消し、新潟県信用組合に抵当権を設定した。また、このころ原告は、内藤営業部長より被告が立替工事を引き受けるには特命発注書を出すことが必要であると指示され、これを被告横浜支店に提出した。吉田建築士は同月一六日ごろ建物の見積作業を完成し、翌一七日原告らと共に被告横浜支店に赴き、見積書(見積額金一億〇五〇〇万円、乙五号証)を提出し、同書を基に内藤営業部長、被告横浜支店営業部員原田正己、同永田金也を交えて話し合いがなされた結果、概ね、以下のとおり了解に達した。すなわち、被告は前記アズマ建築設計事務所の設計図に若干の変更を加えた建物(五LDK四戸、その他三戸、分譲予定五LDK四戸)の工事を立替工事として受注する。吉田建築士は右見積金額を二〇〇万減額して一億〇三〇〇万とし、これを下請代金とする、被告の元請代金は被告の取り分(マージン)をおよそ見積金額の五パーセントと見て、これを五〇〇万とし一億〇八〇〇万とする。同年三月中に着工し、九月に完成予定とする。被告に対する代金の支払いは、先に内藤部長が示したように建物完成後六か月を支払期日とする原告振出の約束手形により行う。分譲建物が売れ残った場合はその建物に、元請代金を被担保債権とする担保権を、被告に対し設定する。下請業者(なお、このころ、下請業者としては吉田建築士の知合である建久組を使うということで内藤部長の了解を得ていた。)に対する被告からの支払いは毎月の出来高に応じて支払う。設計監理は吉田建築士らにおいて行う。

5  吉田建築士は昭和五三年三月一一日、アズマ建築設計事務所の設計図に変更を加えた修正設計図を被告横浜支店に提出した。このころ、内藤営業部長は横浜支店工務課に対し、吉田建築士の見積の検討及び被告として独自の見積を依頼し、同課においては非公式の見積として見積額を一億四〇〇〇万と積算し(乙六号証がその見積書)、また、吉田建築士に対し同建築士の見積に対し書面でいくつかの質疑を発し(乙五号証がその書面)、同建築士はこれに対し同様書面で回答し、解決をみている。また、時期は必ずしも明確ではないが、遅くともこのころまでに、内藤営業部長は原告に対し、日照等についての紛争を防止するため建物建築について近隣の同意が必要とされる場合の同意書のヒナ型(甲一一号証)を交付し、そのような場合の指導を行なつている(もつとも、この当時、新潟県では右同意を要するとする建築上の規制はなかつた。)。

6  昭和五三年三月二〇日ごろ、原告は建築予定地に建つている旧建物の処理について、内藤営業部長の意見を求めたところ、同部長は、早期に取壊して着工を速め、かつ、分譲促進のためパンフレット等も作成するようにと指示してきた。そこで、原告、吉田建築士は右指示に従いパンフレットの作成及び旧建物解体工事の手配をした。そして、最終的な詰めの作業を行うということで、原告、吉田建築士は同月二七日、被告横浜支店に赴いた。

同日、同支店において、被告側関係者として内藤営業部長、同部長の要請により石原総務部長、三浦工務課長が同席し、原告、吉田建築士とこれまでの経過を踏まえて立替工事に関する打ち合せを行い、大要、左記のとおり合意ないし確認された。

(一)  前記昭和五三年二月一七日に原告らと内藤営業部長らとの間で了解されたところに従つて被告は原告より立替工事としてマンションの建築工事を受注する(工事代金については、被告の見積額が話題としてでたが、吉田建築士の見積額で建築ができるのであれば特に問題はないとして、代金額について変更はなかつたものである。)

(二)  被告に対する代金の支払いは建物完成後六か月先を支払期日とする約束手形七通(額面金一五〇〇万円六通、同一八〇〇万円一通合計金一億〇八〇〇万円)により行う。

(三)  契約書を四月四日に作成し、取り交わす(これは、当日が月末であつたため月が変わつてから作成するということで決められたものである。)。この日に原告は右約束手形を被告に交付する。

(四)  起工式は四月七日に行う。

(五)  下請業者(建久組)が工事を施工するにあたつては被告のマークの入つたシートを使用する。また、被告はヘルメット、作業着などを有償で支給する(これは、主として吉田建築士と三浦工務課長との間で話し合われたことである。)

7  その後、石原総務部長より四月四日は都合が悪くなつた旨の連絡があり、契約書の作成は翌五日に延期された。そして、原告は翌五日、約束手形用紙(甲一三号証の一ないし八)を用意し、上京しようとしたが、たまたま上越線に事故があつて行けなくなり、内藤営業部長、石原総務部長と電話で話し合つた結果、起工式後に行うことになつた。

そして、内藤営業部長は四月七日予定の起工式に出席するため、四月六日午後新潟に到着し、原告らを同行して被告東京支店信越出張所新潟営業所に赴き、管轄は異なるが横浜支店で原告のマンションを建築する旨挨拶した。同日夜は、原告らにおいて宴席を設けて同部長を歓待し、原告、吉田建築士、建久組の社長阿部文蔵、右営業所深見次長が同席した。翌七日、予定通り起工式が行われ、内藤営業部長は元請業者の立場でこれに出席し、被告からとして金一封、酒二本を出している。起工式には、他に原告、吉田建築士、右阿部社長、原告の妻が出席した。なお、吉田建築士は、前記のとおり内藤営業部長の指示に従い旧建物の解体工事の手配をしていたものであるが、右起工式までに、これを完了して起工式のために杭が打てるように準備し、また、建久組にプレハブの作業場の建設を、建久組を通じて下請業者に対し重機の搬入をそれぞれ命じ、工事の準備を整えていた。

また、当日までに分譲のための宣伝用パンフレット(甲四号証)が刷りあがつていたので、原告らはこれを内藤営業部長に見てもらつたところ、右パンフレットには被告のマークが上下逆に誤つて印刷され、かつ、建物工事には直接関係しない被告信越出張所新潟営業所の名前が印刷されていたため、このことを同部長に指摘され、改めて、原告らはその指摘に従い右パンフレットを作り直した(甲五号証は作り直した後のもの)。

8  ところで、原告の場合、立替工事であるうえ、被告が原告より工事を受注するのは初めてであり、代金の支払条件が建物完成後六か月先を支払期日とする約束手形で行うという異例なものであつたため、本社に外注可否伺いをだして、その決済を仰ぐ必要があり、石原総務部長はこれを被告横浜支店支店長に相談したところ、支払条件に問題があるので、報告書の形式で本社に報告して決済を仰ぐように指示され、このころ、その旨本社に報告した。そして、被告横浜支店高橋総務課長代理と相談の上原告の信用調査を調査会社に依頼した。被告本社では、必ずしも本件証拠上明確ではないが、後記9の事実経過に照らし、これらの調査結果などを踏まえて、遅くとも昭和五三年四月一二日ころまでには、原告からの立替工事の受注は、支払条件に問題があるので、代金を確保するに足る適当な担保の提供が必要であり、その提供がない限り契約は締結できないとの結論に達し、その旨被告横浜支店に伝達したものと推測される。

9  他方原告らは、前記のとおり起工式も終え、契約書の作成、工事を待つばかりになつていたところ、右起工式後四、五日して、吉田建築士に対し工事を待つようにとの指示が被告よりなされた(内藤営業部長あるいはその他の被告横浜支店の者が指示したものと思われるが、本件証拠上、誰であるか不明)。

そこで、原告は急拠、昭和五三年四月一二日、被告横浜支店に赴き、内藤営業部長、石原総務部長らにその理由を質し、右8のとおり本社において担保の提供がないと契約の締結ができないとの結論になつた旨説明された。そして、内藤営業部長は、同部長としても困つており、このままでは契約を成立させることは難しく、同部長も協力するので、原告の妻の祖父の縁で、直接被告の社長に頼んだらどうかとの意見を述べた。原告としては、これまで前記4記載の趣旨での担保提供の話しかなく、もともとが、負債整理のために立替工事を依頼したもので、適当な担保物件もなく、非常に困惑したが、右内藤営業部長の意見に従い、被告社長に直かに依頼してみることとした。

同月一八日、原告、妻の祖母婦美、内藤営業部長らは被告社長(飛島斉)を訪ね、右の趣旨に従い依頼し、同社長は再検討を約したが、結局、被告においては、担保物件の提供がない限り原告と契約はできないとして決済がおりず、同月二六日、原告にたいしその旨告知された。

原告は内藤営業部長らと善後策を協議し、婦美にも相談した結果、婦美が婦美所有地を担保として提供してくれることとなつた。そして、原告は石原総務部長の指示に基づき、被告に対し同年五月二二日、同日付けで公証人の確定日付をとつたうえ、原告、婦美連名で、婦美所有地を担保として差し入れる旨記載した担保差入証と題する書面(甲七号証、甲一四号証の一、二)を提出した。更に、同部長より担保設定に必要な婦美所有地の権利証、委任状、印鑑証明書等を用意するよういわれ、原告はその準備をした。また、内藤営業部長より被告宛嘆願書をだすよういわれ、同年六月一日、被告に対し再考を懇請する旨記載した書面(乙七号証)を提出し、更に同年七月一日付けで原告らと内藤営業部長らとの交渉の経過を記載した書面(乙八号証)を提出した。

10  右のとおり原告は担保提供に努力し、内藤営業部長らの指示に従い各書面を提出してきたが、その後、事情は不明であるが、話が一向に進展しなくなつた。そのままマンションの建築が遅れることになると、前記のとおり吉田建築士らが新潟県信用組合より融資を受けて、原告の新東港産業に対する債務を弁済してくれているため、右融資金員に対する利息がかさみ、吉田建築士らに迷惑をかけるばかりか、結局のところ原告の負債整理の目的を達することができず、しかも、原告は旧建物を取壊し後、マンション完成までの心積もりで借家住まいをしていたが、マンションの建築が遅れれば遅れる程家賃(一か月八万五〇〇〇円)を余計に負担しなければならず、マンション建築を遅らすことができない状況にあつた。そこで、原告は昭和五三年八月一六日、被告に対し工事着工、あるいは打合せを催告し、それがない場合は被告とのこれまでの話を打ち切る旨通知した(なお、原告は契約の成立を前提としてこれを解除するとしている。甲二号証、乙二四号証はその通知書)。被告はこれに対し拒否の回答をし(乙二五号証の一はその書面)、以後、原、被告のマンション建築に関する交渉は打ち切られた。

11  原告は、やむなく吉田建築士、建久組との間で建築計画を進めたが、右の事情で、別の業者をさがして立替工事を依頼する時間的余裕もなく、原告が建久組に建築予定地を売却し、同組において、マンションを建築し、土地売買代金に相当する部分を原告に譲渡するという形式で、マンションを建築したものの、吉田建築士らには被告程の資金力がなかつたため、計画を変更せざるを得ず、当初の計画では駐車場を作り、原告において賃貸する予定であつたのを取りやめ、四階建を実質三階建に変更し、また、全体の部屋数を増やす一方、その質を落とし、改めて、建築確認を昭和五三年九月二九日申請して、確認を得、変更された計画に従つてマンションを建築した。同マンションは昭和五四年五月ごろ完成し、原告は、母ハナ名義で一戸、妻と持分各二分一で一戸、原告の関係する菱新産業株式会社名義で一戸を取得している(同年六月から七月にかけて所有権保存登記)。右マンションの建築により、原告は当初計画したとおり債務整理を終えたが、右のとおり駐車場を賃貸して収入を得る当てがはずれ、また、被告との契約成立を前提に、旧建物を取壊したため、早く壊したただけ余計に前記借家の賃料の支払いを余儀なくされた。

以上の事実が認められる(原告が内藤営業部長にマンションの建築について相談したこと、昭和五三年四月七日起工式が行われ同部長が出席したこと、原告に対し被告が担保の提供を求めたこと、原告が嘆願書を提出したこと、被告に対し甲二号証、乙二四号証の書面が原告より送達されたことは当事者間に争いがない。)

二証人内藤照美らは以下のとおり右認定に反する供述をするので、これら供述の信用性について検討する。

1(一)  証人内藤照美の供述(要旨、以下同じ)

昭和五二年一一月末ごろ、原告、吉田建築士よりマンション建築について相談を受けた。相談内容は建築確認書とバラバラの図面を持参し、見積を依頼された程度と記憶する。建物の規模は四階建と聞いたが、詳しくは知らない。これらの書類は、営業部ではチェック能力がないので、すぐ、建築部にまわした。建築部では図面不足で正常な積算ができないということであつた。新潟は東京支店の管轄なので、同支店の飯田営業部長を原告に紹介した。しかし、同支店では引き受けられないとのことで、原告は再度横浜支店で検討して欲しいと相談に来た。そこで、吉田建築士に対し積算出来るよう図面の引き直しを依頼した。昭和五三年三月ごろ、引き直した図面を受け取つた。その図面に基づき建築部で見積もつたところ一億四〇〇〇万円であつた。吉田建築士の見積については、建築確認書などと一緒に持つてきたのを、右図面の引き直し前に見た記憶があり、その金額は一億〇三〇〇万円であつた。図面引き直し後に吉田建築士から見積がでたかどうかはつきりしない、その見積書は見た記憶がない。吉田建築士に対しては、図面の引き直しを依頼しただけで見積や設計変更は依頼していない。見積金額について最終的に決定はしていない。一億〇八〇〇万円という数字には記憶がない。請負代金やその支払条件などは総務部の方で決めるので原告との間にどのような話があつたのか詳しいことは分からない。

立替工事という話も、原告との相談の経過のなかで出てきたようであり、それで担保をとる話が出てきたと思う。また、相談を受けたのと平行して、昭和五二年暮ごろから昭和五三年一月にかけて原告の信用調査をした。その結果、原告は借財が多く支払能力がないということであつた。このことからも、総務部では担保が必要であるとの意見であつたため、そのことを原告に伝えた。原告は婦美所有地を担保に出すということであつたが、原告の妻の父が反対したため実現しなかつた。

原告に対し、日照問題等の近隣対策について、あるいは、建築予定地に建つている旧建物の取壊しを早くすることについて、一般的な意見を述べたことはある。特命発注書の依頼、着工、完成の日取について打ち合わせの記憶はない。相談当初、原告から借財について聞いたことも、建築予定地の登記簿謄本を見たこともなく、債権者を金融機関に変更するよう指示したこともない。昭和五三年三月二七日、被告横浜支店で原告、吉田建築士、石原総務部長、三浦工務課長と話をした記憶はない。

同年四月六日、新潟へ行つた。これは、原告から一度現地を見て欲しいと言われていたため、それも良いと思つて行つたものである。翌日、日もいいので取りあえず起工式をやるというので出席した、式のことは事前には聞いてない。金一封、酒を出した記憶はない。その際、パンフレット(甲四号証)を見せられた。許可もなく作つており、被告のマークも上下逆であつたため、契約もしていないのにこのようなものを作つては困ると注意した。また、原告、婦美に同行して被告代表者のところへ、原告のマンション建築について被告と契約出来るよう頼みにいつたことはあるが、結局、駄目ということであつた。

要するに、原告と被告の間では、請負代金額の決定もなく、原告の場合必要とされた担保の提供もなく、契約を成立させる基本的な部分においておよそ合意がなかつたものであり、到底、契約は成立しておらず、契約書も作成してない。

(二)  証人石原淳の供述

昭和五三年三月初めごろ、内藤営業部長より管轄が違うが新潟で原告のマンション建築の仕事をするかも知れないと言われた。同月二七日ごろ、内藤営業部長の依頼で原告に会つた。この時、吉田建築士、内藤営業部長、三浦工務課長が同席した。自分が同席した理由はマンション建築の規模、代金額などについて打ち合わせをするためだつたと思う。もつとも、事前に何を打ち合わせるのか聞かされていなかつたので、具体的に何をすべきか分からないまま出席した。その時点で原告の建築依頼が立替工事であることは知らなかつたし、今も知らない。内藤営業部長からも、原告からも聞いてない。右二七日の会合は食事をしながら二、三時間話した。工事規模の話がでたと思うが担当分野ではないので関心がなく、その内容は分からない。代金の支払いは手形でしたいとの話が原告よりあつた。支払条件、代金の総額等については原告、内藤営業部長、吉田建築士、三浦工務課長がいろいろ話をしていたと思うが、聞いてない。三浦工務課長は建築規模、下請について話をしていた、ヘルメットの支給などについての話は出なかつたと思う。請負契約書を作る話はこのときもこれ以後も出ていない。

その後、支店長の指示で本社に報告したとき一億〇八〇〇万という金額を見た記憶がある。これは内藤営業部長より聞いた記憶である。代金の支払条件は内藤営業部長と原告でやりとりし、自分は内藤を通じて聞いていたが、直接原告と交渉をしたことはない。

同年四月半ばごろ、原告の信用状態について調査した。三、四日して報告書があがつてきた。それには、原告所有地に担保がついているという書類がついていた。同年三月末より後、原告のマンション建築工事の依頼について、社内で支店長を交えて話し合つたことがある。その際、原告は手形で支払うということであるので、その手形を下請にまわすか、その手形が決済された時点で下請に支払うとするか、あるいは、その手形に銀行の保証をつけてもらうか、このいずれかの条件が整わないと原告の依頼には応じられないとの結論になつた。そこで、そのことを原告に提案したが、どれも拒否されたので、担保をとることになつた。その後、内藤営業部長も交えて原告と担保提供について話をしたことがある。一般的に担保がないと依頼に応じられないという程度の話で、具体的にどの土地を担保にするといつた話ではなかつた。婦美所有地を担保に出す話は内藤営業部長を通じて聞いた。担保提供の手続きを指示したことはない。甲七号証(担保差入証、甲一四号証の一、二も同じ)は見たが、これが自分宛に提出された記憶はない。原告よりの依頼について問題があつたのは担保の点だけである。被告では担保を取る場合、通常第三者のでなく契約当事者の物件を提供してもらつており、そのことは内藤営業部長を通じて原告に話してある。

(三)  証人三浦信

昭和五三年三月二七日に原告、吉田建築士とあつた記憶はない。原告、吉田建築士と一度だけ会つた記憶がある。原告とは雑談的な話をしただけと思う。吉田建築士とはマンションの工事について話したと思うが思い出せない。

2(一)  右証人らの証言に共通していえることは、まず、記憶がないあるいは思うといつたあいまいな供述が多いことである。また、内藤証言と石原証言を対照すると、原告らとの交渉において、代金の支払、代金額の決定などについては、内藤証人は総務部において行つたと供述しているのに、石原証人は内藤営業部長が行つたと供述し、また、担保提供については、内藤証人は婦美所有地について承諾を得られなかつた旨供述するのに対し、石原証人は明確とはいえないものの原告所有の物件でなかつたため駄目だつた旨供述し、かつ、原告に対する信用調査の時期についての供述には相当な違いがあるなど、多くの点で互いの供述に不一致が見られ、全体としていずれの述べるところが正しいのか判断に苦しむ。このことは、三名に共通する昭和五三年三月二七日の会合におけるそれぞれの証言についても同様にいえることである(石原証人は同日の会合のことを比較的供述しているのに対し、他の二人は記憶なしとする。)

(二)  内藤証人はマンションの規模、代金額等についておよそ具体的なことは分からない旨供述するが、当初から相談を受け、できるだけ協力する気でいた(同証人の供述)証人が右の点について知らないというのは余りにも不自然である。

吉田建築士に対し見積や設計変更は依頼していない、同建築士の見積書(金額一億〇三〇〇万円)は建築確認書などと一緒に持つてきたのを見た記憶があるという。しかし、〈証拠〉によれば、吉田建築士は昭和五三年二月一六日に見積書を被告横浜支店に提出しており(見積金額は当初一億〇五〇〇万円であつたのを一億〇三〇〇万円に訂正)、また、乙三号証の二(覚書と題する書面)によれば、内藤営業部長と吉田建築士の間において、昭和五二年一二月一四日付で、原告のマンション新築工事に関し、基本計画設計に対し一部変更設計に関する業務について覚書を交換するとされており、これらからすれば、被告において見積あるいは設計変更を依頼したと見るのが自然である。

また、起工式の出席を偶然とするのも不自然であるし、パンフレット(甲四号証)の作成については、無断で行つたので注意したというが、原告らはその後、パンフレットを作り替えており(甲五号証)、仮に注意だけであつたとすれば、わざわざ、作り替えるということは通常あり得ないことである。担保提供の点についても、原告の妻の父が反対したので実現しなかつたというが、婦美所有地は婦美の所有であつて、同人は被告に対し担保差入証(甲七号証、一四号証の一、二)を提出して、担保提供に同意しているのであるから、妻の父の反対で実現しなかつたというのは理解し難い。

(三)  証人石原は三月二七日の原告らとの会合について、二、三時間話した、証人が同席したのはマンションの規模、代金額等について話をするためであつたと思うといいながら、他方では証人が聞いたのは、支払いを約束手形でするということだけであつた旨供述し、わざわざ、総務部長という責任ある地位にある者が、代金額等について話をする目的で出席し、2、3時間も話をしながら、聞いたことは右の点だけであるというのは、いささか信じ難いことである。しかも、同証人のいうところによれば、原告のマンション建築について本社の決済を得るために、報告書を作成したというのであるから、そのような証人が右建築について内容を殆ど知らないというのは、不思議としかいいようがない。

また、支払が手形のため、その手形を下請代金の支払に充てるか、その手形が決済された時点で下請代金の支払をするか、あるいは、その手形に銀行の保証をつけてもらうか、このいずれかの条件が満足されないと、原告と請負契約を締結することはできないとの結論になり、そのために担保を求めた旨供述する。ところで、この供述からすれば、原告と被告の請負契約には、下請業者が予定されており、その下請代金の支払を原告の支払いより先にすることに被告としては不安を持つていたこと、すなわち、原告と被告の請負契約は、通常の場合とは異なり、当初から一括の下請が予定されている立替工事であつたことが窺えるのである(通常の請負契約であれば、下請業者の選択は元請業者が自由に行うことであり、代金の支払は元請業者と下請業者の間で決められることで、いずれも施主には無関係である。)。そうであるとすれば、同証人が立替工事であることを全く聞いていないというのは、証言に矛盾があるというべきである。

3  以上のとおり、右証人らの証言は、全体にあいまいで、相互の供述も不一致でそれ自体で信用性に乏しく、また前掲認定の用に供した他の証拠と対照すると、不自然な点が多く、到底信用し難いものであり、他に前記認定を履すに足りる証拠はない。

三本件請負契約の成否

前記認定の事実によれば、原告の債務整理を目的とするマンション建築工事(アズマ建築設計事務所の設計に係る鉄筋コンクリート造四階建の建物)につき、原告らと内藤営業部長らは、これを立替工事として被告が請負うことを前提に、昭和五二年一一月ごろから、主として内藤部長を通じて交渉を重ね、翌五三年三月二七日には、石原総務部長らも交えて話し合った結果、建築代金、その支払方法、下請業者、下請代金の支払方法について合意し、契約書の作成あるいは起工式の日取りなども取り決め、原告らは内藤営業部長の指示に従い、吉田建築士において、見積あるいは設計図を修正し、また、債権者の変更や旧建物の取壊し、宣伝用のパンフレットを作成し、同年四月七日には内藤営業部長も出席して起工式を行い、建築工事の作業場の建設、建設機械の手配をするなどして、工事の準備を整えていたが、本社において、原告から担保の提供がない限り契約の締結はできないとの結論となり、その後原告は同年五月二二日担保差入証を提出して、婦美所有地を担保に提供する旨被告に申し出るなどしたものの、結局、被告の受け入れるところとならず、契約書の作成までには至らなかつたものである。

右経過に照らすと、内藤営業部長ら契約交渉の担当者と原告らの間では本件請負契約を成立させることについて合意ができたものの、おそらくは内藤営業部長らにおいて事前に上司らとの検討を十分せず、契約を成立させ得るものと、被告の決済についての判断を誤つていたため、右合意の内容では上部(被告横浜支店長、更には被告本社)の決済を得ることができず、被告としては契約の締結を拒否するに至つたものと推認される。

ところで、株式会社などの組織体においては、当該組織体が個人と同視されるような場合は別として、決済という方式により、権限の少ない者から順次権限の大きい者、最終的にはその組織体の最高責任者の承認を経て意志決定を行うことが通例であり、このことは、被告のようにいわゆる大企業(被告が一部上場の大手建設業者であることは、当裁判所に顕著な事実である。)においては例外がないものと思われる(前掲乙三四ないし三七号証からもこのことは窺える。)。また、被告のような大企業においては、契約を締結するに当たり、契約金額が少額とはいえない場合、書面(契約書)なくしてこれを行うことは通常有り得ないことと考えられる(証人内藤、石原、三浦の各証言からも明らかである。)

原告の被告に対するマンション建築工事の依頼は、担当者である内藤営業部長らとは合意が成立したものの、最終的には決済が得られず、請負代金額(一億〇八〇〇万円)に照らしても、契約が成立しているとすれば、当然作成されていてしかるべき契約書の作成もなく、被告としては合意しなかつたものというの外なく、結局のところ、前認定の事実関係からは、本件請負契約が成立していたとまでは認め難いものである(なお、内藤営業部長らはその肩書からして、商法四三条が適用される場合と考えられ、同部長らは本件請負契約締結の権限を有しているものと認められるから、同部長らが合意すれば、それが口頭によるものであつても、契約は成立していると見る余地がないではない。しかしながら、被告のような大企業における決済方式あるいは契約締結にあたつて契約書を作成することは、ごく常識に近いものであり、原告らに対し契約書の取り交わしをわざわざ約していることに照らしても、同部長らの口頭による合意のみで契約が成立しているとすることは困難であろう。)。

したがつて、本件請負契約の成立を前提とする原告の本訴請求は理由がない。

四不法行為に基づく損害賠償請求について

1 前認定の事実によれば、昭和五二年一一月ごろから交渉を重ね、翌五三年三月二七日には内藤営業部長ら担当者との間では、請負契約を成立させる合意が成立し、契約書を取り交わすばかりまでになつていたのであるから、原告としては、その肩書から推認される同部長らの被告における地位、権限、それまでの交渉経過からしても、右合意どおりの内容で契約が締結されるものと期待し、契約が成立するものと確信して旧建物の取壊し、パンフレットの作成、起工式の挙行、作業場の建設、建設機械の手配などを行つたものと認められる。被告における契約締結の権限ある者との間において、その意向を尊重しつつ、約四か月にわたり話合を重ね、契約書を取り交わすという段階にまで契約締結の交渉が達している右のような場合において、原告が契約締結について右のように確信し、契約が成立するものとして行動することはいわば当然の成り行きと思われる。ところで、本件請負契約は、前記のとおり内藤営業部長らの判断の誤りにより、被告において契約の締結を拒否するにいたり、その後の折衝にもかかわらず、結局、契約の成立を見るに至らなかつたものであるが、本件請負契約は、原告の債務整理のため立替工事として依頼されたもので、原告は債務を抱え、当面請負代金を支払う能力はなかつたものであり、このように代金の支払について問題がある以上、被告において適当な担保の提供がない限り、契約の締結を拒否することは十分予想されたことであるから(乙三四、三七号証からもそのことは窺える。)、担当者たる内藤営業部長らとしては、原告らと交渉するに当たり、事前に上司と相談するなどして、原告と契約を締結する上での問題点を検討し、それを原告らに十分説明して、もし契約成立の見込みがないのであれば、早期に交渉を打ち切るなどして、原告らに無用の期待、誤解を抱かせ、不測の損害を与えることのないようにする注意義務があつたものというべきである。しかるに、同部長らは、その立場上、被告の取扱いを十分知つていたはずであるのに、判断を誤つて、原告らと合意した内容で契約が成立するものとし、原告らと交渉を進め、原告らをして被告との間に契約が締結できるものとの誤つた確信を抱かしめたものであるから、このように誤信させたことには過失があり、同部長らは、右誤信により生じた原告の損害を賠償する責任がある。また、同部長らは、被告の業務担当者としてその職務執行中に原告をして右のように誤信させたものであるから、被告も同部長らの使用者として民法七一五条に基づき原告の右損害を賠償する責任がある。

2  原告の損害

(一)  マンションの一室を取得できなかつたこと及び駐車場の賃料収入を失つたことによる損害について

右損害は本件請負契約の成立を前提とするものであつて、契約成立の誤信から生じた損害とはいえず、これが成立していないことは前説示のとおりであるから、右損害の主張は理由がない。

(二)  借家の賃料を余計に支払つたことによる損害について

前記認定のとおり、原告は内藤営業部長の指示により遅くとも昭和五三年四月七日頃までに旧建物を取壊し、以後、その後に建築された新しい計画によるマンションが完成し、その一室に入居(前記認定の事実からすれば、昭和五四年六、七月ころまでには入居したものと認められる。)するまで、借家住まいを続け、その間、一か月金八万五〇〇〇円の賃料を支払つてきたこと、内藤営業部長らとの合意ではマンションの完成予定は昭和五三年九月とされていたため、そのころまで、借家住まいをする積もりで原告は旧建物を同部長の指示に従い早期に取壊したことが認められる。このように早期に取壊したのは、原告において、契約が成立することを誤信していたからであることは明らかであり、右取壊し時期から新しいマンションの建築計画に従つた場合に取壊すべき時期までの期間について負担した右賃料は、本来であれば負担することを要しなかつたものであり、この間に支払つた賃料は右誤信から生じた損害というべきである(原告は建築が遅れた期間中に支払つた賃料を損害とするが建築の遅れについては、右誤信とは無関係の新しい計画による建物自体の建築の遅れ、新しい計画そのものの着手の遅れなどの事情が通常含まれていると考えられるから、右期間中の支払賃料を損害とするのは相当ではないであろう。)。

ところで、本件証拠上、新しい建築計画に従つた場合における旧建物を取壊すべき時期を、いつごろをもつて相当とするか、必ずしも判然としない(建築確認の申請が昭和五三年九月であることからすれば、その直近であろうことは一応推測できる)。したがつて、損害として計上できる賃料の支払期間を確定し難いため、具体的に損害を算定することができないといわざるを得ない。しかしながら、損害の発生していることは明らかであるから、このことは、後記慰謝料を算定する上での一つの事情として考慮することとする。

(三)  慰謝料について

原告は、前記認定のとおり、昭和五二年一一月ごろから翌五三年四月ごろまで内藤営業部長らと交渉を重ね、本社の意向が示されて後も、同年八月ごろまで契約の成立を期待して、その意向に添うべく努力したものの、契約成立に至らなかつたもので、この間およそ九か月余り、交渉のため何回も上京するなど奔走し、同年三月二七日の内藤営業部長らとの合意後は、当然に契約が成立するものとして、同部長らの指示するまま、旧建物の取壊し、パンフレットの作成、作業場の建設あるいは建設機械の手配を行うなどしていたもので、その期待が裏切られ、当初計画していたマンションの建築も変更を余儀なくされ、結果として、前記認定の事情から、被告との契約が成立した場合に比べ、有利とはいえない形でマンションの建築をせざるを得なくなり、相応の精神的苦痛を受けたことは推測するに難くない。これに、前記賃料の支払による損害の存することを考慮すると、右苦痛を慰謝するに足る慰謝料額は金一五〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

(四)  被告は、原告が建築確認における建築主となつてないことを理由に、実際の施主は原告でないとして、原告には損害が発生しないと主張する。

しかしながら、前記認定の経過に照らせば、むしろ実際の施主は原告であるが、便宜建築確認における建築主を原告の母福田ハナなどの名義にしていることが推測され、実質的にも、原告に損害が生じているというべきであるから、右主張は失当である。

五結論

以上のとおり、原告の本訴請求は、金一五〇万円及びこれに対する不法行為の後であり、本件訴状送達の日の翌日である昭和五六年一〇月二三日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので(原告は遅延損害金につき商事法定利率により支払いを請求するが、不法行為に基づく損害賠償金の利率は民法によるべきものであるから、右請求は失当である。)、これを認容し、その余の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小田泰機)

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